Through the kaleidscope

プログラミングとかシステム開発とか諸々の思考場所

彼方昔のフリーランス一回戦

この記事は、フリーランス残酷物語 Advent Calendar 2016の20日目です。

ひとつ前の記事では僕が今年フリーランスになった経緯を書きました。そこでも言及したようにフリーランスになったのはこれが二度目で、実は2009年秋冬ごろにフリーランスとして活動していた期間が少しあります。それはもう残酷な失敗でありました。

フリーになるまで

一度目のフリーランスになるまでを簡単に振り返りましょう。

病気

新卒の会社で働きだしてから、僕はすぐにメンタルを病んでしまいます。過労と人間関係が原因であと少し勇気があれば逝ってました。今ではほぼ完治しており冷静に振り返ると様々な局面で合理的な思考が出来ていなかったなと感じます。

今思い返してもひどいもので、「休職を繰り返す、退職する、うつ病を隠して転職活動、転職するものの仕事が厳しくてうつ状態がひどくなり休職」これのループが続きます。

地元へ

そんな真っ暗闇の中、とある女性と結婚するため、地元に帰ることになりました。はじめはヒモっぽい生活してましたが、働けという嫁さんに抗えず、どうにか職を見つけますが長続きしません。ただでさえ不自由や理不尽に我慢ができない自分が、うつと闘いながらそれを許容するなど到底無理ゲーです。うつ病患者と初めて接する嫁さんと事あるごとに衝突し、娘が生まれたというのに全然幸福感はありませんでした。

決意

ある会社を辞めた後、もう自分は会社員として働くのは無理だという結論に達しました。履歴書は会社の遍歴が多すぎて汚れてしまったし、年も30を超えてしまった、しかも鬱持ちである。嘘をつかないと会社に入れてもらえないだろう、そして例え入れてくれたとしても、その会社にきっと絶望する日が来る、そう考えると、会社員として行きていくことは諦めたほうが精神衛生上いいのではと考えたのです。

そしてその時僕はフリーランスプログラマとして、生まれ変わろうと決意したのであります。

なにか順番が逆な気がしますが、その時僕は病気について一生治らないものと決めてかかっており、いかに両立させながら生きていくかにフォーカスが当たっておりました。

フリーになってから

最後の会社を休職期間切れにより退職することになってから、僕は離職票は机の中にしまって、そのままフリーランスとして活動することになります。

コネ

さあ、あこがれのフリーランスです。さあ、、、何をしよう?

フリーランスなんて宣言すれば誰だってなれます。難しいのは仕事を見つけることです。当時の僕はどうやって仕事を取ってくればいいか皆目検討がつきませんでした。リアルな知り合いなどほとんどいないため、ネット上の知り合いにそれとなく「仕事ないですか?」と聞いてみますが、そうそう都合よく仕事にありつけません。

コネという言葉にネガティブなイメージを持っていましたが、コネって大事なんだと気づいたのがその時です。

初仕事

そんな中、あるオレンジ色の求人サイトで業務委託の募集を見つけることができました。なんという幸運。業務委託と言っても案件ベースではなく、時給ベースです。確かコンビニバイトよりは割高なくらいの金額でした。それでも、がんばれば昇給するし、継続的なお仕事を約束しますよということだったので、相手の言うがままに契約をしました。

その会社相手に3ヶ月の間にふたつほどの案件をこなしました。コミュニケーション面で少し支障をきたすことはあったものの、仕様どおり動くものを無事に納品できました。ただ、3ヶ月の間の実稼働時間にすると1.5月程度で金額にすると、月あたり10数万円です。

フリーランスは会社員時代の給料の3倍は稼がないといけないという忠告を見ます。それと比べると僕が稼いた金額は微々たるもので一ヶ月の生活費にも足りません。嫁さんは赤ちゃんの育児のためすでに婚前から働いていた会社を辞しており、僕の収入にすべてがかかっています。こんな金額ではとても生活していけない!

しょうがないので家にある不用な物品をヤフオクで売りさばきました。独身時代に集めたレアなキーボードやPCパーツは全部売りました。嫁さんのもう使わない服やカバンも全部売りました。断捨離というとかっこいいですが、ただの生活費捻出です。とはいえ、落札があるたびに僕自身の鬱気分は幾分か和らいだので、当時の僕に悲壮感はあまりありませんでした。

見積

時給ベースのお仕事ではやっていけないのと、案件が途切れると一気に窮するため、並行して他の仕事を見つけることにしました。するとまた同じオレンジ色の転職サイトで、受託案件を請けてくれる人の募集を見つけました。すぐに応募して面接に行くと、担当の方が「すぐには案件がおろせないが、例えばこういうのを作ってくれとなった場合の見積を出してみて欲しい」と依頼してきたので見積もってみることになりました。

そこで僕は初めて見積をします。要件は確か単純なPHPのフォームだったと思います。サーバ側処理だけでなく、HTML+CSSも書く必要がありました。そんなにこじゃれたものじゃなくても良いとのことでしたが、僕にとってはPHPは少しは知ってましたが、フロントエンドは未知の世界です。勉強する時間は請求しないとして、どれくらい時間がかかるかを予想し、自分の給料換算してそれに3-4倍した金額を伝えました。

お代100万円と報告しました。「なるほど……」という回答をもらってから、一切の連絡が途絶えました。

終了

生活費は火の車で、もう借金しないといけない水準まで来ておりました。受託案件だけなんて悠長なことは言っていられません。転職サイトだけでなくハローワークにも通い、正社員でもバイトでもいいから何かしらの仕事を見つける必要がありました。こだわりを捨てた結果、短期ではありますが契約社員のお仕事に縁があり、2つの案件をこなしただけで一回目のフリーランス活動は終わりとなったわけです。*1

敗因

さて、一回目のフリーランス活動は惨敗でした。1安打完封負けです。何がいけなかったのでしょうか?

当時の私は、自身の本当の実力がよく分かっていませんでした。当時は過度に自己評価が低く、何も出来ないんじゃないかという恐れを持って案件を探していました。フラットに客観的に自身の技術力やスキルを把握していないと、アピールもできないし、今回は無かったですが案件とスキルのミスマッチで多大な損失、迷惑をかける可能性もあります。

単価設定についても自分の適正な値付けが分かっていれば、極端に高い見積もりで失注したり、自分を安売りして苦しむこともなかったでしょう。

また仕事を見つけるのになぜかネットばかり見ていました。同じフリーランスの方々との交流も特に行いませんでした。しないというより対人恐怖症によりできないと言う方が正確ですね。フリーの人のブログとか読むと、仕事はたいてい知り合いや元職場などの縁から来ることが多いと書いてあります。ネット上のマーケティングを否定はしませんが、ネット上の知名度を確立するまでに地道に仕事をするべきでそれは今までの仕事の延長線上にあるのだと思います。*2

あとは精神的な病気ですね。今思い返しても合理的判断があそこまでできないものかとびっくりしてますし、これは性格的なものも起因してますが人と接することを異常に恐れていたんですね。健康がフリーランスになるための絶対条件です。

まとめ

結局のところ一回目のフリーランスは「社会から脱落した奴が、未知の世界に準備不足で飛び込んで溺れ死にかけた」の一言で表現できるのではないかと思います。*3

そんな私でも契約社員後の二社で病気の治癒と、プログラマとしてのお仕事についてそこそこの自信を得られるくらいになりました。再起したとようやく言えるのかなと。前職で技術的なリーダーを任されたり、コミュ障と言ってよかった自分がお客さん相手に要件定義したり、チームをまとめるマネジメントをやったりして、いろいろな経験を積むことで過去の自分をどうにか払拭できた感があります。

二回目は同じ負け戦をしないように、うまくやっていきたいですね。

*1:ついでに、PCのリプレースをする深夜バイトや、年末年始に倉庫でピッキングのバイトをやりました。もうプログラマ関係ないですね

*2:今ならクラウドソーシングサービスで低単価を受け入れるなら数はあるのでしょう

*3:いやほんとなぜ溺れ死ななかったか不思議である