Through the kaleidscope

プログラミングとかシステム開発とか諸々の思考場所

組織を変えるということ

現職、アジャイルやろうぜーとか経営の人たちは言っているんだけど、正直そのメリットが分からない。

アジャイルが疑問なのではなくて、なぜ導入するかという背景がよく分からない。目的がわからないのに手段だけこうしようと言われても、意味が無い。それは導入したのに目的を達成しないのなら意味が無いからだ。なにか成果を出すそのための手段であり、導入した成果は何か、目指したい成果は何か、が分からないと、さあアジャイルやりましょうと言われても、( ´_ゝ`)フーンとしか思えない。

現場サイドからするとアジャイルやってみたい欲があるので歓迎なのではあるが、そもそも今のリソース配分やら顧客との契約などが今のままであるなら、アジャイルを入れてもあまり解決はならないと思うわけで。

解決ってのは、自分が考える「経営陣がアジャイルを推進したいわけ」ってのが想像できて、それはきっと開発効率をあげて利益率をよくすることなんだろうなと思っているわけ。

でもさ、アジャイルってのは顧客への価値を最大限提供するってのがその導入価値であって、利益をあげたいからやるってものではないはずなんだよね。これ言うと会社って利益上げようとするのが当たり前だろって同僚に言われたんだけど、会社のビジョンに売上目標とか書いてなかったし。顧客への価値提供を目指すとか言ってたし。(若干難癖)

利益率を最大限よくしたいなら、それこそ安価な労働力を派遣して利ざやで稼げばよくね?って思う。もちろんそんな会社は何の魅力もないわけだけど、じゃあ受託で利益率上げたけりゃまずは込ディディ化から脱するために社内のいろんなことに「投資」する必要があると自分が考えるんだ。

つまり一時的に利益率は下がることになるね。そりゃ投資だもん。すぐには回収はできないよ。ただ将来的に投資額を回収できるような組織にすることが目的じゃないの?わざわざアジャイルって言うのなら。付加価値をつけたプロダクト、サービスを受託で提供するってのがこの先生きのこる道だもんね。

しかし、現実は人月商売からまったく抜け切れておらず、それでいてリソース配分もぐちゃぐちゃだから現場は疲弊するばかりだ。現場で自己組織化する動きをはじめているけれど、疲弊した中で変えていくのって相当大変だよね。

アジャイルを導入する前に組織を変える必要があるわけなんだけど、組織って現場だけじゃない。経営陣も含めて組織である。自分に求められているのは要は経営陣も含めて変えて欲しいということなのかねえ?そういう観点のことを指摘するとどうもはぐらかされている感じしかしないので、変化を起こすというのは難しいことなのだなと実感する。

ちなみに自分はギアスのスザクのように中から変えてやる!みたいなことはある程度理想郷の話だと思っていて、そんなとこに固執するくらいなら別のとこに行ったほうがよくね?という合理主義な人間なのです。

働く時間

仕事が間に合わない。様々な理由があるがとにもかくにも間に合わないから残業する。それが続くと体に不調をきたし、最悪の場合は会社を休むこともある。

頭では、週40時間を守りたいが、現実的に、間に合わなければ残業するスタイルが身についてしまっている。

今もわりと大変な時期で定時後の仕事をする必要があると感じている。

だが、そう考えるのはきっと望ましくない。間に合わなければその分時間をかければ良い、間に合わない時間分働けば良い、という実に短絡的な考えにハマり込むからだ。

今日は遅くまで残業しよう、そう考えながら出勤し始業のチャイムを聞いても実は身が入らない。朝から飛ばすと夜には体力が尽きてしまう予想をしてしまい、パフォーマンスを自らセーブしてしまう。無意識的に。

それは下手すると昼食くらいまでひきづることもある。そしていざ夜になって残業してもあまり調子がよくないことに気づく。このまま終電近くまでやると明日に影響が出るな、そうなると朝の決意が行使されることなく1日が終わってしまう。

はじめから残業を当てにするからこうなる。残業は定時が来て、身体の調子がすこぶるよくてもう少しできそう、今いい感じのフロー状態だから残業していい状態でアウトプットを出し続ける、こういう理由でない限り、残業という時間で解決するのではなく、時間当たりの開発効率をいかに上げるかにフォーカスしたほうがよりパフォーマンスがでるよなあ、と長々と考えていた

生き方に迷うわけ

まあなんてことはない。迷うってことは、本当は自分はどうありたいか、やりたいかは分かっているものなんだよ。ただそのやりたいことに向かって進めない、そういうヘタレ君がよく迷うんだ。

迷わない生き方をする人はきっと、やりたいことが明確ならそのゴールに向かって、やるべきことをブレイクダウンしてひとつひとつ業務をこなすみたいに壁を壊していくだろう。そして望むものをつかむ。

ところがヘタレ君はやりたいことは無意識にわかっているけども、それをするためにはこれまで得てきた安定を捨てる必要があるとかでビビっている。チャンスにではなく、リスクという名のピンチに目が行って足が動かないんだ。そして分かっているはずのやりたいことが無意識化に消えてしまい、それを自覚できず、どう進むべきかの悩みだけが頭を支配する。

単に君は勇気が足らないだけだ。ひとつ足を出す、とりあえずやってみる、その積み重ねが君に自信や勇気を持たせてくれるだろう

そういや35歳だった

http://docs.komagata.org/5094

プログラマ35歳定年説について。

なっちゃったもんだから一応話しておくが「んなもん関係ない」。

新しく入った会社では久しぶりのExcel仕様書作りに難儀しつつも、先週くらいからコーディング作業をすることになり、これがJavaでWebというまた(自分にとって)新体験なことでSAStrutsとかSeaser2とか使ってゴリゴリ書いてる。本当は設計書書かなければいけないだけど、プログラマのアサイン状況がかなり悲惨なので俺も書かなきゃいけないという事態。何気に火が燃え上がりそうな気がするがそれはここでは置いておく。

で、久しぶりに(2ヶ月ぶりくらいに)コード書いてみたらやっぱり楽しい。まあマネジメントとか下のプログラマのレビューとかするしもともとの設計作業もあるからフルには入れないのが残念と思える。そう思うくらいにはプログラマでいたいということかな。

とはいえ、お金稼がなきゃいけないお父さんであり大黒柱であるので、マのまま市場価値が下がったら怖いなとかそういう懸念はあるので(そんなスーパープログラマでもないし)、基本はやりたいことが出来つつ現実も見ながらキャリア積みますかって感じですね。

退職エントリだよ

筆者は酔っているので、推敲が出来ないが、まあ書いておこう。

最近、どこそこを退職しましたというブログエントリをよく見ることがあって、特にあそこは流出激しいなあ、なんかあるのかと外野から揶揄されがちでもあるので本来なら書くべきじゃないかも知れない。しかし、退職、転職というのはその人にとっての人生のひとつの区切りとなる転換点であり、舵取りの変化にいろいろ考えたこともあっただろうし、悩んだこともしただろう。そういうターニングポイントを迎えた事に対し何かその思考や行動の理由、思いなどを書き記しておきたいという欲求は到底否定しがたいものであろう。

ということで、自分も書く。

3月末日をもって株式会社ジェーンを退職することになりました。

なりましたっつうか、数ヶ月前から事業縮小による解雇通告はされていたので、今更驚きの退職ってわけでもないんだけど、外から見たら突然だわな。

結局のところ、Janetterというプロダクトによる採算が見込めなくなった、それは悪名高きリミットトークンのせいでもあり、それは、

Twitterクライアントがこの先生き残るには #twtr_hack - Slideshare

にもあるように、Twitterサードパーティを取り巻く厳しい制限にどう対応するかという問に対して、「ビジネスとしては諦めよう」という結論を出したことからもお分かりのことだろう。

Twitterというサービスに出会ってそろそろ6年になろうとしている。これほど巨大なプラットフォームとでもいうほどに大きくなるかどうか、そんなことすら考えなかった初期のことを懐かしんでも仕方ない。彼らもマネタイズには苦しんでいるだろう。リソースばっかり食い荒らして自身には直接の益をもたらさないサードパーティに対しこれほど強硬な姿勢を見せるのも立場を変えれば理解は出来る事である。

API1.1の発表時、Twitterの開発界隈は大騒ぎになった。Posterousはいつの間にかサービスの終了を告知し、Lockerzは迷走しながらTwitterとの連携を切った。GoogleRSSリーダーを終了させ世のRSS利用ユーザを困惑させている。プラットフォームはそれが土台だからこそ、亀裂が走った場合のショックは大きい。ビジネスとして、そのプラットフォームのただのインタフェースとしかなり得ない専用クライアントというものはこれほどに脆い。

なんか恨みつらみっぽいな。気分を変えてこれまでを振り返ろう。

ジェーンに入社したきっかけは、某市のWebサイト構築で嘱託職員の任期が切れてプーになって、さてどうして食い扶持を得ようかと、同じような企業ばっかり並ぶ見飽きた転職サイトを眺めるのをやめてネットをうろついている時に弊社の代表がJane Styleについてなんか語ってるGIGAZINEの記事を目にしたことだった。2chを見るのに自分が使っているのはJane Styleで、それを作っている会社が大阪にあるんだー、へー、意外だなと思ってその次には会社情報を調べて、採用情報があったので、とりあえず応募してみた。すると連絡があって、梅田の喫茶店で話してほぼ即決で決まった。ただ、自分が作るのは、2chブラウザではなくて、ジェーンを支えるもうひとつの柱としてのTwitterクライアントの開発だった。

それから3年弱。Janetterと名付けられたソフトウェアは大きなバージョンアップを乗り越えて現在に至り、去年はAndroid版の開発も担当した。ジェーンという会社は会社ではあるのだけれど、小さな会社は社長の性格がそのまま社風となるのだろう、いい意味で緩い感じで(時にはその緩さがルーズさを呼び起こしバグの連鎖を起こしたりしたが・・)これほどストレス無く働ける会社は無かったと思う。会社というよりはフリーランスがユニット組んでやっているような印象もある。開発のやり方とかも自由にやらせてくれたし、悪い言い方をするとこれほど自分勝手に出来たのも、代表の懐の深さゆえだろう。その点については非常に感謝をしている。

代表を含めて4人、結果としてバラバラになってしまうが、チームを組んでそれなりの(?)知名度のあるプロダクトに携われたのは素晴らしい経験だったと思う。皆さんお疲れ様でした。たまに僕の吐く毒に付き合ってくれて本当にありがとうございました。

まあそんなこんなで本日3/29に次に転職する会社に行って、自分のキーボードやトラックボール持ち込んで環境を大体セットアップしてその後の社員たちの飲み会に参加しているという、次元の狭間に迷い込んだような状態でございます。次は久しぶりの受託開発です。気を引き締めよう。

で、ここまで読んで「Janetterどーなんの?」と思ってくれる有難いユーザ様の皆様につきましては、PC版、Android版、iOS版ともに、各担当者が個人請負でメンテを引き継ぐ形になっておりますので、すぐに開発停止とかにはなりませんし、TwitterAPI制限が緩くなってマネタイズの目処がついたら、メンバー再結集もありうるかも知れません(行くかどうかは知らん)。上でも触れたGoogleReaderのシャットダウン告知時には大多数のユーザの署名運動も起こりました。TwitterAPIの制限というのは一般ユーザにはなかなかその影響が分かりにくいものですが、TweetBotが1.1対応後のユーザのクレームのせいでしょうか、リストタイムラインの制限が15回/15minから180回/15minになったわけだしユーザが直接声を上げるというのがサービスプロバイダにとって一番影響のあるものなのでは無いでしょうか、ということで声上げるなら今のうちだよ。

というわけで4月から新しい職場でSE業をすることになりましたので、関係者の方々よろしくお願い申し上げます。

AndroidManifest.xmlのバージョン番号を更新するシェル書いた

Janetterって無料版、有料版、Kindle版とかいろいろバージョンがあって、 それぞれにプロジェクト作っているので、 それぞれにAndroidManifest.xmlがあるという状況。

ビルドする時、XML全部手で書き換えるのいい加減たるくなってきたので、 シェルスクリプトで全部書き換えられるようにした。 たまにしかシェル書かないけど、こういうの書くのって割と楽しいですね。

プロジェクトがたくさんあれば、 update_manifest()をその数だけ呼べばいいですね。

まあMaven使えやって話にもなるかも知れませんが、そういうとこツッコミなしで。

社会、会社、仕事

誰が見てるかわからないとこでこんなこというのもなんだが、僕は会社とか社会とかが嫌いだ。国とか経済を回すのに必要なものであるのは分かってるが、どうにもいけすかない。

どうしてか考えてみると、それはつまるところ、僕が理不尽なことに我慢がならない体質だからなんだ。はっきりいって自分が嫌なことはしたくないし、嫌なことを強要する仕組みのある社会は理不尽の塊だ。

まったくもってガキの発想だが、実際僕の精神年齢もかなりガキなので、そこは大人への成長を待つしかない。

無駄なプライドがあって理不尽を受け入れられないってのもあるだろう。それはプライドの問題であり、認知的な問題とも言える。

仕事ってもう理不尽の連続で、機能追加出来たら、仕様と違うとか、どうも俺の知らないところで仕様が決まっていてそれを知らないで作業していた時間全部返せやこのヤローってなこともあったし、いちいち例に出す必要は無い。

ただ、人生を生きるということは、この理不尽さをいかに対処して、皆で笑って生きて行くことなのかな、とすると、この半年近くいろいろと感じてることも幾分かは中和されるのかもしれない。

コードを書いたり、新しい技術のドキュメント読むのは好きだ。そこから、理不尽によって楽しさが失われる仕事という場を恐れている。やりたいことだけやりたい、それはなかなか叶えられるものでは無い、妥協が必要、そう言われるし、俺も他人にはそう言う。

結局のところ、理不尽さを少しだけ受け入れるようにして少しづつ受けて食べて行くことが必要なのだろう。その理不尽は大人の階段を登る儀式かもしれないし、対した理由は無いのかもしれない。

そしてそれに慣れすぎて社畜になるのかもしれない。嵌められた鎖の重さを自慢するようになったらお終いだけど、本人が幸せそうならもう他人がとやかく言う問題でも無いのかもしれない。

非常に乱文すぎて、推敲どころか一行すら見直してないが眠いのでこのままアップする。また考えがまとまったら書くかも。